夜中に足が攣る

毎日ではないですが、このごろ夜中に足が攣ることがあります

しかも両足いっぺんにとか

水分不足のせいかもと思い、たいてい直った後に水を飲んでいます

今朝も夜中に足が攣りました

普通のこむら返りとも違う攣り方なので少し気になっています

米国福音派と人種差別

加藤喜之「福音派」によれば、米国福音派の特色の一つに人種差別があります

確かにそうなのでしょう

これは米国福音派の素朴さからくるのだと私は考えています

米国建国が1776年であるところ、欧州の偉人たちの生没年は、シェイスクピア(1564-1616)、フランシス・ベーコン(1561-1626)、ジョン・ロック(1632-1704)、ニュートン(1642-1727)、スピノザ(1632-1677)、カント(1724-1804)です

これを単純に考えると、アカデミズムの点で米国は欧州からかなり遅れています

欧州でキリスト教が哲学の批判に晒されていたときに、米国は、まだまだ古きよき時代が続いていたわけで、米国のクリスチャンは(よい意味で)素朴だったのです

黒人に対する差別は日常に染みついていて特に疑問を抱かれることなく、そこからの方向転換は難しかったのでしょう

人種差別関連で、私には思い出があります

私が初めて通った教会はニュージーランド出身のP宣教師が始めた教会でした

私は中学2年のときに通い始め、中3で信じ高2のときに洗礼を受けました

私が中3か高1のころ、教会に南アフリカ出身の宣教師が立ち寄りました

南アフリカがアパルトヘイト政策で非難されていたころです

P宣教師は中高生の私を⚪︎⚪︎さん、とさん付けで呼ぶのが常で、割と一人前の人格として扱ってくれていました

そして私に「南アフリカ出身の宣教師が来ているが、会いますか?会いたくなければ、それでもいい」と言ったのです

私はアパルトヘイトについて詳しくはありませんでしたが、南アフリカが世界中で非難されていたのは知っていました

それで「会いたくない」と答えたのです

P宣教師はそれ以上その宣教師を私に紹介することはありませんでした

他にも米国、カナダ、イギリス、オランダ、オーストラリアからの白人宣教師を知っています

白人は、宣教師といえども心の底では有色人種を見下すことがあるかもしれません

しかし、私の知っている福音派の宣教師たちは、人種差別はあってはならないと考えて日本人に接していたと思っています

第74期王座戦挑戦者決定戦

連日の将棋ネタですが、昨日の藤井聡太竜王名人と広瀬章人九段の将棋が非常に面白かったです

藤井竜王名人は前期、伊藤匠二冠に破れて王座を失いました

広瀬九段は前期ベスト4です

昨日の対局を私が見始めたのは最終盤からで広瀬九段が一分将棋になるころでした

序中盤から終盤にかけて後手の藤井さんが徐々に優勢となり、藤井さんに詰み筋があったようですが、なんと藤井さんが詰み筋を逃して先手の広瀬さんが逆転した局面から見始めました

藤井さんがAI推奨の最善手をはずすのは珍しいと思っていると、今度は広瀬さんが、こう指せば勝勢と思われる手をはずし、それに対して藤井さんはまたも最善手をはずす、という展開になりました

両者とも持ち時間を使い果たし一分以内で指す将棋になっていましたので、藤井さんといえども時にはこういうことがあります

AIの優勢判断は広瀬さん有利のエリアで激しく動いて一時は全くの五分にさえなりましたが、最後は藤井さんが投了しました

強い棋士がAIの最善手をはずす将棋はハラハラして面白いです

藤井システム発動の前夜

将棋の藤井システムといっても藤井聡太竜王名人(六冠)の藤井ではありません

竜王3期の藤井猛九段が考案した居飛車穴熊対策の戦法です

昨日、ネットの記事で藤井九段が1995年に藤井システムを公式戦で初めて使う対局前夜の心境を紹介した記事を読みました

対局前夜、藤井九段は大リーグボールを初めて投げる前のような心境だったそうです

藤井システムは、まさに誰も見たことのない魔球でした

この戦法は、振り飛車(序盤に自陣の飛車を横に動かす指し方)が苦手とする居飛車穴熊(飛車を動かさず、玉を穴熊という堅い囲いで守る戦法)に対抗する指し方です

当時画期的だったのは、これが必勝法と言いうる戦法だったからでした

プロの世界で必勝法が成立するのかと思うでしょうが、藤井九段はこの戦法で勝ちまくり、3年後の竜王戦では当時の谷川浩司竜王にストレート勝ちして竜王を奪取しました

藤井システム初対局に戻ると、藤井九段は当時六段、相手は井上慶太六段(当時)でした

藤井六段は47手という短手数で井上六段に勝ちます

昨日、奇しくも藤井九段と井上九段の対局がありました

結果は藤井九段の勝ちでした

ノートパソコンは大人のどこでもドアだ

もうずいぶん昔の話ですが

1990年代から2000年代初頭にかけて刊行されていたムック「FMVファミリー」に、孤独のグルメの久住昌之さんが漫画を連載していました

特集がパソコンのモバイル活用のときは、「ノートパソコンは大人のどこでもドアだ」とばかりに、久住さんの漫画でも飲食店にノートパソコンを持ち込んで使う話になっていました

ところが漫画では久住さんが「恥ずかしくてパソコンをカバンから出せん」と言って終わります

私も当時富士通のノートパソコンを持っていましたが、その気持ちわかるなーと思ったのを覚えています(ただし分厚かったので、むしろ重さであきらめたと思います)

電車やカフェでノートパソコンを開く人は昔より増えました

スマホはほとんどの人が使うようになりました

スマホ一つでたくさんの情報にアクセスでき、通信できるのは、あらためて考えるとすごいことです

今ではすっかり「スマホは大人のどこでもドア」になりました

原泰久「キングダム」47巻

実写版が上映中の「キングダム」原作を電子書籍で読みました

アニメ第6期の続きを読みたいと思ってGoogleで調べ、AIが言う47巻から読むべしのとおりに購入したら、第6期の5話~7話が47巻でした

アニメをみてから日にちが経っているので復習になりましたが、買うときにもっと慎重になればよかったです

加藤喜之「福音派」の感想

昨日読み終わりました

あとがきによれば、加藤喜之氏は米国留学中に福音派の教会に通っていたようです

その後プリンストン神学大学院に進んでいますが、自分がクリスチャンであるとは述べていません

仮に信仰があったとしても主流派(聖書は人間が書いたもので誤りがあるとする立場)なのでしょう

この本は、主流派または無信仰のキリスト教の学者が福音派をどのように理解しているかを知るのに有益です

そして、アイゼンハワーからトランプに至る米国大統領との福音派の関わりの資料になります

福音派の論客フランシス・シェーファーも紹介されていました

私はシェーファーの著作はけっこう読んでいます

「そこに存在する神」「理性からの逃走」「神の沈黙?」「それでは如何に生きるべきか」「真に霊的であること」「神なき時代のキリスト者」(いずれも邦訳で出版はいのちのことば社)です

加藤喜之「福音派」に出てくる映画「それでは如何に生きるべきか」も映画会で全部を見ています

「それでは如何に生きるべきか」が出版・上映された当時、福音派は、シェーファーの著作を、現代思想の影響を受けたリベラル神学の危険から信仰を守るための必読書と考えていました

加藤喜之「福音派」では、シェーファーを中絶反対運動に貢献し、政治運動を鼓舞した人物ととらえています

立場が違うと、こうも見方が変わってくるものなのですね

主流派からすると、聖書を誤りなき神のことばと信じる福音派は、頭がおかしいかバカであるわけで、その福音派が大統領選挙の行方を左右する一大勢力となっているのは理解できないし、許容し難いのでしょう